2010年から、全てが変わる?

会社で部長はある課題を投げてお正月休みに考えをまとめ休み明けにディスカッションを行いたいと仰っていた。メールの冒頭はCOP15会議やら、地球温暖化の問題などについて取り上げられたため、正直に最初は嫌だった。しかし、中部の文書を読むと、きれいに「人事部として」の考え方に落とす様にと書いてあったので、なんとなく納得できた。 近年地球や文明などが巨大なスケールで変化しつつあり、その変化をに取り残されたら会社は危険である。地球に津波や地震などが起きて、人間に何らかを伝えたいようである。それに伴う、人間の文明ではエンロンスキャンダルなどで経済危機が相次いで起こってきた。また、その経済危機は一部の国を襲うだけではなくグローバル的に津波のように国々をつぶしていた。日本もその中に巻き込まれて、いつの間にかその危機感を生で感じることができる。 2000年はじめて来日したとき、「日本経済はもう危ない」とよくテレビの番組で聞いていたのが、周りは人々の生活がゆったりしたため、危機感はほぼ感じていなかった。そのとき、パナソニックは生産活動がもっとアジアに集中させる戦略をとるため、もともと僕が勤めた会社が使う機械をインドネシアに持って行って、会社の収入がへりリストラをやってた。身近なものはそれぐらいだった。知り合いが働いた会社も一部仕事が減っているという話も聞いたことがあるが、目でみえる日本経済はまだ元気だった。 しかし、今回の不況は本当に肌で感じていた。テレビで「派遣切り問題」や「内定取り消し問題など」をみて、本当に日本経済は深い不況に陥ってしまったようだ、と思った。あらゆる業界で倒産のニュースは耳にしている。昔すんでいた神戸のポートアイランドにあるショッピングセンター「ムサシ」という店は3年前閉店し、残ったのはすぐその隣にある「イズミヤ」だったが、ことしの2月も不況のため閉店になるようだ。島内大きなショッピングセンターは、家具専門IKEAしか残っていない。もしかして、IKEAも来年まで生き残れないかもしれない。 幸いマンダムは日常用品の製造会社のため、いくら不況でも生活者にとってわが社の商品が必要だろう。しかし、なにも変わらぬのんびりしてすごすことがきっとできない。この不況で、生活者の消費習慣が変わったり、ものに対して考え方も変わるだろう。10年前は、100円ショップや中古店などは多くの主婦にとって入ったら恥ずかしいというイメージがあったかもしれないが、最近は中古店にいったら来店する人が多くなったような気がする。また、安い価格を求める生活者の要望を答えるため、隣国の中国産の商品を取り扱う店ももっと多くなったようである。しかも、安いだけではなく品質も良くなってきた。このような状況が続いたら日本国内企業はまずまず大ピンチになる。「安くて品質がいい」と「高いが、品質がいい」という選択があれば、当然生活者は前者を選ぶだろう。 半年ぐらい前あるインドネシアの雑誌がこの様な記事を取り上げた、「アジアは付加価値がある商品より、生活に必要最低限な商品へシフトする」。周りを見れば、日本もこの様な状況になりつつあると思う。まさに、今年からは全てが変わる。その変化に対応するために人事部部員としてどのように捉えるのか、今月の部会まで考えないと行けない。

カナッア (qana’ah)とは

もしも、あなたの人生で全ての欲しいものが手に入れられならば、本当に満足はできますか?高給与の仕事、いい肩書き、お城の様なお家、外国製の高級車。本当に満足できますか?その答えはほぼ百パーセントNOである。なぜならば、人間は自然に自分よりもっと裕福なひとに目をつけるからである。ムハンマド預言者『彼に平安であれ』はこの様な言葉を告げた(日本語の直訳): ”人間は純金のひとつの山を持っていれば、二つ目の山を求める。二つの山を持っていれば、三つ目の純金の山を求めつつける。人間は『土』が与えられるまで止まらぬ(「土が与えられる」の意味は土に埋葬いわゆる亡くなる)” これは他人事ではない、私もそうである。自分の人生を振り返ってみませんか?初めて車を買ったとき、あまりお金がなくてぼろぼろな中古車で満足できたけど、友人が新車を購入したときなぜか焼餅になって、ついにローンに手を出した。しかし、何年経ったらその新車は古く見えてまた新しい車に換えたい。お金ちゃんとあれば別に問題ないけど、お金がないのに無理やりローンを組んで、日夜も知らずアルバイトで頑張ってローンを支払い続ける。こんな人生はおかしくないと思いませんか?いい品物を求め続けるのは決して悪いことでもないが、周りの目を気になるばっかりで自分の能を超える無理やりのはいいことではない。自分意欲を満たすためには、いつまでも終わらない。だからどうするの?一番いいのは、できる限りで頑張るけど、今の自分のあり方が神様に感謝して人生を送ること。ムハンマド預言者『彼に平安であれ』の言葉なら、つぎの様である。 ”Undzur ilaa man aspala minkum wa laa tandzur ila man huwa fawqakum fahuwa ajdaru an laa tazdaruu ni’matallahi alaekum […]

雨の音

僕は生まれ育ちが小さな村だった。 小さい頃は、 実家は柱が高くて木造で伝統的な家屋だった。柱の高さは3メータぐらいで、 下の部分は我が家の養鶏場。 100匹ぐらいの鶏を飼っているため、 朝の五時ぐらいから鶏の声で賑やかだった。 しかも、実家は村のモスクの真横にあるから、 スブ(早朝)のお祈りの掛け声が五時前に流れ来ると、 鶏も起きてしまってその掛け声に鳴り返す。 昔は、水道はまだ流れてないため、朝の水浴びは家の後ろにある井戸から水を上げ浴槽に入れて、 それから水浴びができる。今頃だったら雨が頻繁に来るから、井戸水が結構溜まって家族全員で使える。しかし、乾期が訪れると、井戸水が乾いて、 朝と夕方の水浴びは家から離れている井戸に行かなくてはならない。実家の西側100メータぐらい国道があって、その道を渡って昔家畜の餌を生産する会社CHARGILL社の地区内にある井戸によく行った。10分ぐらいで着くから、早く行ったら学校は遅刻はしない。 しかし、乾期がもっと長くなると、CHARGILLの井戸の水も減って、 入らせてくれなくなる。その会社は生産のため水も使うから、 やはり少なくなるときには分けてくれない。そうしたら、やむ得なく実家から1キロぐらい離れている井戸に行かなくてはならない。 朝スブ礼拝が終了したら、 早速水浴びに行って6時ぐらいに家に戻らないと学校は遅刻する。水を浴びたのに、帰りに家で使うための水を肩に担いで汗がビショビショで帰宅ことも珍しいことではない。 多分その様な経験があるから、僕は雨の音が大好きになる。特に寝る前に雨の音がしたら、モーザートやビートヴェンの音楽よりもすごくいい響きになる。雨の音を聴けば、「明日は井戸水が溜まる、遠く水浴びに行かなくてもよい」という安心感がある。その安心感はこの国、日本にいても変わらぬものだ。 今は、実家で水道もあるし、ポンプで75メーターの地下から水を吸引ができ、 水に困ることはほとんどないが、 小さい頃で学んだ水の大切さは今も忘れない。 豊かな生活で暮らしている我々は、 […]