Archive for 日本語

雨の音

僕は生まれ育ちが小さな村だった。 小さい頃は、 実家は柱が高くて木造で伝統的な家屋だった。柱の高さは3メータぐらいで、 下の部分は我が家の養鶏場。 100匹ぐらいの鶏を飼っているため、 朝の五時ぐらいから鶏の声で賑やかだった。 しかも、実家は村のモスクの真横にあるから、 スブ(早朝)のお祈りの掛け声が五時前に流れ来ると、 鶏も起きてしまってその掛け声に鳴り返す。 昔は、水道はまだ流れてないため、朝の水浴びは家の後ろにある井戸から水を上げ浴槽に入れて、 それから水浴びができる。今頃だったら雨が頻繁に来るから、井戸水が結構溜まって家族全員で使える。しかし、乾期が訪れると、井戸水が乾いて、 朝と夕方の水浴びは家から離れている井戸に行かなくてはならない。実家の西側100メータぐらい国道があって、その道を渡って昔家畜の餌を生産する会社CHARGILL社の地区内にある井戸によく行った。10分ぐらいで着くから、早く行ったら学校は遅刻はしない。

しかし、乾期がもっと長くなると、CHARGILLの井戸の水も減って、 入らせてくれなくなる。その会社は生産のため水も使うから、 やはり少なくなるときには分けてくれない。そうしたら、やむ得なく実家から1キロぐらい離れている井戸に行かなくてはならない。 朝スブ礼拝が終了したら、 早速水浴びに行って6時ぐらいに家に戻らないと学校は遅刻する。水を浴びたのに、帰りに家で使うための水を肩に担いで汗がビショビショで帰宅ことも珍しいことではない。

多分その様な経験があるから、僕は雨の音が大好きになる。特に寝る前に雨の音がしたら、モーザートやビートヴェンの音楽よりもすごくいい響きになる。雨の音を聴けば、「明日は井戸水が溜まる、遠く水浴びに行かなくてもよい」という安心感がある。その安心感はこの国、日本にいても変わらぬものだ。

今は、実家で水道もあるし、ポンプで75メーターの地下から水を吸引ができ、 水に困ることはほとんどないが、 小さい頃で学んだ水の大切さは今も忘れない。 豊かな生活で暮らしている我々は、 どこかで水で困っている人々はきっと居ると分からなくてはならない。

今夜の様な雨の音が聞こえる度に、 私は明日水が困らなくても暮らしができると、ALLAH神様にいつも感謝している。 あなたは、水のことは神様に感謝していますか?

PM Fukuda mengundurkan diri

Hari pertama ramadhan ini diwarnai oleh kegemparan dunia politik Jepang dengan pengunduran diri perdana menteri Fukuda Yasuo. Dalam pidato singkatnya sekitar 15 menit di kediamannya 30 menit yg lalu, beliau menyatakan sudah mantap untuk mundur dari kursi PM karena menilai dirinya tidak bisa menunaikan tugas dengan baik. Beliau juga menilai kebijakan2 yg beliau ambil seperti konversi status pajak jalan dari yg semula berstatus pajak khusus menjadi pajak umum tidak membawa dampak keringanan kepada warga negara, sehingga dinilai tidak efektif. Permasalahan dalam negeri mulai dari inflasi, harga BBM melangit, korupsi kecil2an tapi massal di dinas perhubungan, dll beliau nilai juga merupakan ketidakmampuan beliau sebagai pengambil keputusan di negeri ini. Beliau cukup berbesar hati untuk mengakui ketidakmampuannya dalam memimpin walaupun pidato itu diucapkan dengan mata yg agak berkaca-kaca menahan air mata. Wartawan yg hadir tidak begitu garang dalam menyerang dengan pertanyaan sehingga acara konferensi pers itu berlangsung cukup singkat.

Sebenarnya niat PM Fukuda untuk mengundurkan diri sudah beliau ungkapkan sejak minggu lalu dan beliau tampaknya mengambil keputusan untuk memantapkannya awal pekan ini. Sebagian pengamat menilai bahwa pengunduran diri Fukuda ini adalah sebagian dari taktik untuk menjaga agar kursi PM tidak jatuh ke partai Demokrat yang sudah mengincarnya sejak tahun lalu setelah menang mutlak di Majelis rendah. Dan kalau ternyata analisa ini benar maka Fukuda Yasuo hanya pantas digelari politikus, bukan negarawan karena lebih mementingkan urusan partainya dibanding kepentingan negaranya, wallahu a’lam.

Terlepas dari kontroversi motif pengunduran diri Fukuda, kebesaran jiwa beliau mengakui di depan umum akan ketidakmampuannya untuk menjadi nakhoda bagi kapal bernama Jepang ini adalah suatu hal yang patut diacungi jempol. Mungkin tidak banyak pemimpin di negara kita yang sejantan dan setegar beliau. Bagi saya pribadi, berani mundur ketika merasa tak mampu lagi adalah jelas merupakan bagian dari sifat kenegarawanan beliau. Fukuda-san, Otsukare sama deshita.

Ramadhan ラマダン

Marhaban ya ramadhan, ラマダンようこそ。

明日から断食。5年ぶりの社会人のラマダンので、少し不安が抱えている。学生時代勝手に休み取れたので、断食中にしんどかったら学校休んだこともあったが、今会社員としてそれは無理だ。明日から会社の実習内容は「仕上げ」に進行するから、ある程度体力が必要と予測している。しかし、どんな大変でも8年前始めて日本にきたとききっとましだと自分に言い返す。最初の一週間はさすがにまだ慣れていないので、おそらく大変であろうが、2週目以降はそんなに感じないと思う。しかも、大変であればあるほど欲望の抑制の訓練である断食の効果は増すであることは間違いない。

神戸にいる時にモスクが近くて、ポートライナーに乗ったら20分たどり着くけど、姫路は2時間もかかるから、おそらく今年は週末しかモスクに行くことができない。残念だが、仕方ないわ。ラマダンのタラウェーはやはり家で家族と一番多いだろうから、他のムスリムと一緒にお祈りあの不思議な雰囲気は味わうことは少ない。タラウェーはもともとジャマーア(大勢の人間)でするお祈りから、家族だけするのはかなり寂しいと感じている。こんなときは、インドネシアに居たらいいなと思う。

明日からレバランを楽しみながら断食をして、自分の魂と信仰が生まれ変わることができるように頑張ります。

ちなみに、下記はレバランの前日に行うタクビーランと言って、ALLAH神様の偉大さを告げ続けること。

目を閉じて心で聴いてみて下さい。きっと不思議でいい気持ちがなってくるはず。